Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#579 癒しのスープはやっぱり味噌汁だと思うのです ~「誰も教えなくなった、料理きほんのき」

『誰も教えなくなった、料理きほんのき』鈴木登紀子 著

昔ながらの丁寧な生活を。

 

8月は魂が抜けた状態でダラダラと過ごしてしまったので、9月は集中して作業を進めている。どの会社にも困ったちゃんがいると思うのだが、人由来のストレスは計り知れない。一日が終わるとぐったりで、その上作業も進んでおらず「我慢我慢」と小声で唱えながら帰宅した。これは気分転換が必要だな、と積読の山から本書を取り出す。手に取った瞬間、ちょっとだけほっこりした。

 

本書は確か何かのキャンペーンの時に金額を合わせる必要があって購入したはずだ。タイトルに惹かれ、内容もあまりチェックせずに購入したせいか、長く積読の山の土台となっていた。ああ、もっと早くに手にしておけばよかったと思うほどにぬくもりのある料理本だ。表紙のイラストが物語るごとく、昭和のお料理本のようなほんわりとした家庭の味を想像させるところが良い。器も実家にありそうなデザインで、母の味というかおばあちゃんの味を思わせる。

 

想像の通り、内容も和食の基礎について書かれており、お料理の写真はカラーだが、作業段階の部分は白黒のシンプルな装丁だ。

和食はどの本を見ても「出汁が大切」とある。どんな材料で、どんな風に出汁を取るかでお料理の出来栄えが変わってくると言う。著者は火を通さず誰でも簡単にできる「水出汁」をおススメしているのだが、レシピは煮干しの内臓と頭を取り、昆布や椎茸を入れて水でゆっくりと一晩おいて出汁を作るものだ。前の日に鍋に水を入れ、そこに材料を入れて冷蔵庫で保存するだけなのでいたって簡単。

 

ただ、この頃はご存じのように便利な材料がたくさんあり、パックを入れて火にかけるだけで出汁が取れる。しかもお手軽なのに美味だ。ものによっては顆粒のものだったり、お味噌などはすでに出汁が練りこまれているものだって存在する。楽しても十分に美味しいが、「丁寧な暮らし」を目指すには上のように昔ながらの工程でやるべきか?という気がしないでもない。

 

丁寧な暮らしへの憧れはあるが、時間に余裕がない限りどうしても手が届かない感がある。でも水出汁ならできそうだと早速やってみた。実際に作ってみるととても満たされた気持ちになった。おまじないみたいに、すーっと心が安定していく不思議さよ。材料出して、下準備を始めた時から「今日何か嫌なことなんてあったかしら?」くらいにすっかり頭から飛んでいく。明日の朝はお茶漬け食べたいなあ、と付け合わせも準備。そして余った材料を使って火にかけて出汁を取り、お味噌汁を作る。正直言って、市販のパックの味との差は私にはよくわからないけれど、ただ夜一人で出汁から作ったわかめの味噌汁は染み入るおいしさだった。

 

他のレシピも昔ながらの懐かしいものが多く、タイトル通りの和食の基本が並んでいる。

 

一つ一つゆっくり見ていくと、レシピ自体は難しいものではない。ただ、手の込んだというか、手がかかるというか、作業の多いもの、という印象が強かった。確かにこういうお料理は手がかかる分、外で食べるとなるとなかなか難しい。今や調理の場面も機械化が進んでいるし、人件費だってかかるわけだから相当なお値段となるだろう。よって楽に時短で!というレシピが多い中、本書のように昔ながらの和食レシピは確かに「誰も教えなくなった、料理きほんのき」だなあ、と実感する。

 

ゆっくりと時間をかけて、滋味のあるお料理を楽しみたいという時、真っ先にこのレシピ本を探すだろうな。