Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#534 長屋の話には学ぶところが多いです~「『日本橋本石町やさぐれ長屋」

日本橋本石町やさぐれ長屋』宇江佐真理 著

本当の名は弥三郎長屋。

 

5月に入り、本格的に夏に違づいている感がある。梅雨の話もちらほら出てきたし、夏のイベントの話も出てきている。来月には政府も水際対策を緩和なんて言ってたし、また銀座が賑わってくる日も近いのだろうか。いつも通りの夏が待ち遠しい。思えばちょうど1年前は東京オリンピックだったのかーと感慨深い。

 

さて、Kindle Unlimitedの読みたかったシリーズを次々と見つけ出しては読んでいる。こちらも前から気になっていた作品でやっと読むことができて嬉しい限り。

 

日本橋の本石町の裏店に弥三郎長屋という築30年余りの建物がある。住むもの皆、糊口をしのぐのもやっとというところだ。それぞれがどうにか仕事を持ってはいるものの、決して余裕があるわけでもない。ここでも井戸を中心に女たちが集まり、長屋ならではの結束がある。

 

とはいえ、単なる面白可笑しい長屋話ではなく、本作はむしろ長屋の貧乏が故の人情に加えて、人の性というか、人が持つ裏の面が書きだされてる。そこに深みが醸し出されており、生きることそのものがにじみ出るような作品だ。

 

本作は宇江佐真理さんの後期の作品のようで、酸いも甘いもすべてが詰め込まれたような円熟のなせる業を感じずにはいられない。毎日の生活の中で、ふと「ああ、もう嫌だ!」と思った時、人はどのようにそれを耐え忍ぶのだろう。ただぐっと我慢する人もいれば、心の逃げ先もしくは本人そのものが逃亡することだってあるに違いない。思いやりがおせっかいになったり、憎しみが愛情に変わったり、そんな人そのものに見る面白さにどんどんと引っ張られていく。

 

弥三郎長屋がやさぐれ長屋と呼ばれるのは単なる言葉遊びのようなものだが、その名の通り、日々の生活の負の面に対してどこかやさぐれてしまいたくなる瞬間が描かれた見事な作品だった。ある一日を切り取ったような、まるで風景画を見ているかのように、住民一人ひとりにスポットライトが当たるのだが、それがまた見事に人間味に溢れている。

 

マイナス寄りかな?と思った時、いつも現実逃避のように読書をしている。本書に出てくる長屋の人々は実に実直で、すなおで、大望はなくとも欲はある。かといって、常に自身の徳ばかりを優先するのではなく、長屋が、江戸が良くなることを願う心意気に関心させられた。こういうところから学ばなくては。

 

やっぱり宇江佐真理さん、早すぎました。もっともっと作品に触れたいが、読めば読むほど「ああ、あと数作しか残ってないのかー」と悲しくなる。