Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#517 へいへい!にーん!~「フィンランド語は猫の言葉」

フィンランド語は猫の言葉』稲垣美晴 著

70年代後半のヘルシンキ大学留学記。

 

あっという間の出張も最終日となった。前半は夏のような陽気だったのに本日はどんより。

 

さて、これは完全に「猫」というお気に入りキーワードと寒色で書かれた猫の絵、そして言語学者の黒田龍之介さんがあとがきを書いている→ならばテーマは語学だな、とつ購入してしまった一冊だ。買わない計画を破ってまで購入した理由は、Amazonがランダムで「読め!」と勧めてきた中でも比較的古い時代に書かれてきた本なのに評が良かったからである。

 

本書は70年代後半にヘルシンキ大学へ留学された著者の体験記だ。著者はものすごく楽しい経歴をお持ちで、ヘルシンキ大学に留学する直前は東京芸大で学んでおり、卒論にフィンランド美術史を選んだことからのフィンランド入りだった。ちなみに、著者がテーマとして選んだのは「アクセリ・ガッレン=カッレラ」というフィンランドの画家で、「カレワラを主題とする作品を中心に」というテーマとのこと。日本を代表する芸術の殿堂である東京芸大にしてもこの画家のことを知っている人はいなかったらしい。

 

ガッレン=カッレラどころかカレワラが何かもわからない。調べてみると、絵画作品としてこちらの写真を見つけた。

 

ついでにカレワラも調べてみると、フィンランドの詩のことらしい。

 

著者が留学した70年代はもちろん携帯もネットもない。それどころかフィンランド語のテキストすらほぼ存在しておらず、著者が日本にフィンランドを紹介すべく立ち上がった側面も大いにある。

 

明るく楽しいお人柄のせいか、文章もテンポよく大変読みやすいだけでなく、たっぷりとユーモアが添えられているので最後まで充実の読書となった。本書は出版社を替えつつ、81年の出版から40年後の今もこうしてKindle版が出ているわけで、今読んでも十分に通用する笑いがあり、知性が輝く。むしろフィンランドに行ったことがないせいか、なんとなく違和感を感じないだけなのかもしれないし、私が知っているフィンランドの知識がサウナとサンタとかもめ食堂マリメッコイッタラくらいなので、40年前の生活の様子に違和感を感じないだけという可能性も大いにある。

 

とにかく著者の巧みな文章力が圧巻だ。そしてがんばっている人の姿を垣間見る事は読み手のモチベーションアップにもつながるし、語学に没頭する姿にどこか共感を抱けたりと、ものすごく身近なイシューに溢れているような錯覚があった。さらにはやはり異国の生活がテーマのエッセイは、行ったことがあろうと無かろうと楽しく読めるものなので、余計に集中して読めたと思う。

 

著者は3年かけてフィンランド語をマスターされているのだが、予備知識なく3年で読み書きに困らないようになるとは恐るべし。英語ですら10年以上学び続けてもまともなレベルまで到達できないのに、出来る人はやっぱり出来る。ところどころ千野栄一先生をはじめとする言語学の先生方の著作のお話なんかもあり、そこでまた一つ一つモチベーションが上がり、やっぱりデキる人も語学習得過程で悩まれてたんだなあと安心してしまう。

 

時にその環境に身を置いていれば、いつしか魔法の様に現地の言葉が話せるようになるというような甘い認識の人がいるが、私は決してそうだとは思わない。絶対に努力が必要だし、「できる」の程度がカフェでオーダーするための意思疎通に限定されるならば、片言でもオーダーくらいは可能なので頼んだものが出てくれば「私は〇〇語ができる」となるだろう。しかし、著者の場合は論文を書き、試験に「優」で合格している。しかも当時フィンランド語に精通していた日本人はほんの一握りのことだろう。第一次開拓者のお立場でフィンランド入りし、しっかり結果を残された著者は見事としか言いようがない。

 

海外生活でのステップについては完全に同意。確かに入国直後は楽しいけれど、すっかり馴染めば里心がつく。当時よりかなり恵まれた環境にいる私たちですら同じなのだから、昭和の留学生たちは強い意志と明確な目的を持って学び続けていたのだろう。

 

語学の話や他人が語学を身に着けていくプロセスはワクワクする。むしろ環境に恵まれていない時代のお話のほうがなぜかより面白く感じる。漱石が英語を学んだ話とか、蘭語を学ぶ江戸時代のお話も大変興味深いものがあった。そこへ本書は黒田龍之介氏があとがきを寄せており、それがまた素晴らしい。

 

ジェケ買いみたいなショッピングだったが、本当に買って良かった。語学は地道に学びを続けることが大切ですね。