Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#353 アガサ作でも人気がある理由がわかります~『ナイルに死す』

 『ナイルに死す』アガサ・クリスティー

ポアロシリーズ第18弾、長編。

 

海外のニュースを見ながら、本書を読んだ。Huluはとっても便利で米CNN、英BBC、仏TV5などを見ることができる。私はもっぱらBBCを見ているのだけれど、カブールの状況は日本では報道されていない内容なども伝えられており、現地の緊迫感が伝わってくる。

 

それにしても今は本当に地上波を見る必要が無くなった。ニュースはネットとHuluの海外ニュースで事足りているし、なんとなく時間が余った時は時間の長さに応じて映画、ドラマ、投稿動画とSNSなり動画配信サービスなりを利用する。以前は天気予報や交通事情を知るためにはテレビの方が便利かと思っていたけれど、テレビをつけて該当情報を探すor出てくるのを待つ時間より、携帯のアプリ見た方が格段に早い。今や地上波見る時って出張行った時以外ないのでは?としみじみ思う。アプリと言えば、海外のラジオを聴くアプリが良い。在宅勤務の間はラジオを聴く機会が増えた。時代によって情報収集方法のニーズにずいぶん変化があったものだと思う。

 

さて、本書である。『ナイルに死す』はアガサの長編作品の中でも恐らく知名度の高い作品のうちの一つだと思う。クリスティ文庫からも新訳が出ているくらいだし、映画もある。きっと愛読者数も多い作品なのではないだろうか。私は旧訳を読んだけれど、これはきっと「慣れ」のせいだろう。違和感に慣れてきたので特に新訳を選ばずともストーリーを十分に楽しむことができた。

 

Title: Dath on the NIle

Publication date: November 1937

Translator:  加島祥造

 

本作品の翻訳者は『雲をつかむ死(第12弾)』、『ひらいたトランプ(第15弾)』、『もの言えぬ証人(第17弾)』と同じ。慣れが出てきたので特に違和感なく読めたように思う。とはいえ、やっぱり女性のコメントの翻訳に違和感が残る。新訳を読みたくなる時のために、違和感のあった部分を備忘録として記しておきたい。

 

例えば、ヴァン・スカイラーという金持ちの老婦人がいる。親戚の娘と話をしている時に、「もちろん、いつもの通り、ミス・バウァーズが一緒にくるはずだがね」と言うシーンがある。この人物はアメリカ人で家柄も良い人のはずだのだけれど「だがね」なんてニューヨークの社交界で活躍する、たとえそれが老婦人とはいえ、そんな人が「だがね」はないだろうと思うし、その親戚の娘が「ごめんなさい、伯母様。あたし、ばかだもんで…」と言うのも、どうだろう.....。「だもんで」は私の知る人でも使う人がいるのだけれど、全員男性で60代を超えている。そして出身は東海地域の方たちだ。それを結婚前のニューヨークにいる結婚前の娘さんに語らせる翻訳者の意図は、アメリカはダサいとか、アメリカは社交界では本流ではない(ヨーロッパの階級社会とは異なる)ということをアピールしたかったからだろうか、などと邪推していた。こういう点は新訳が気になる。あと登場人物の名前もきっと新訳のほうが今風だろうと思う。ちなみにミス・バウァーズは英語だと、Miss. Bowersだ。

さて、今までも本文に入る前にたまにアガサの甥っ子でクリスティー会の会長さんが序文のようなものを掲載していることがあったが、今回はまずアガサ本人、次に翻訳者、最後に甥っ子さんが前書きを寄せている。謎なのは翻訳者。

 

訳者からのおねがい    

はじめは 少しゆっくり 読んでください。登場人物表 を参考にして、各人物の様子を頭に入れ、地図を参考 にして、この舞台を想像してください。 あとは―― 前書きの末尾でクリスティー女史の言う通りです。

 

このコメントはなぜ?という疑問が残る。アガサの前書きはそれは素晴らしく、臨場感を持って読みたくなるような内容で、ここであえて翻訳者が書き添えることはないような気がした。これは新訳にも書かれているのかが気になる。翻訳者が巻末に翻訳後期を記していることはあれども、巻頭にこのような形で掲載される書籍を初めて目にした。確かに登場人物は多い。また事件現場が客船の中なので不特定多数というわけではなく、今までにもあった列車の事件と変わらないと思う。うーん、やっぱり意図がわからないなぁ。

 

ストーリーは最初からのめりこむような内容で、ポアロはエジプトで休暇を楽しんでいる。カイロからナイル川を下る旅に出るのだが、同じような道程で出会う旅人たちとの間で事件が発生する。登場人物はみな「もしやこの人?」な影を含ませており、最後まで読者はポアロの推理のヒントを読みながら「やっぱりこの人?」「いや、こっち?」と小さな事柄を解決の糸口だ!と一喜一憂しながら読むことになる。

 

きっと当時はエジプトは人気の旅行地だったのだろう。いろいろな国の人が乗船客となっており、それだけでもミステリアスさが増すのが不思議だ。もちろんイギリス人も乗船していて、ポアロによるそれぞれの国のお国柄評を語る際に、イギリス人男子の特徴の基準が大親ヘイスティングズになっているのも面白かった。ちなみに彼はこの時にちらっと名前でのみ登場している。愛すべきキャラである。

 

本作は映画にしたくなるのもわかる!と絶賛したくなるような面白さで早いテンポで次々推理の片りんが見える度にワクワクドキドキが止まらない。確かにそれだけのストーリー性があり、この役にはあの俳優さんなどなど自然と頭に浮かんで来る。しかも読み続けながら人生とは.......などしみじみしてしまう場面もあったりして、推理以外の哲学的な面も見え隠れする。

 

ところで、本文とは関係なく気になったキーワードが2つあった。一つは「ヌビア人」。船頭がこのヌビア人なのだけれど、このように記載されている。

 

若い方の男は会話に加わるどころか、しかめ面をして二人の方を眺め、それからわざわざ二人に背を向けて、ヌビア人(黒人種。最も美しい人種とされている)の船頭が手で帆を操り足の指先で舵をとる器用な動作を、さも感心したような顔つきで眺めはじめた。

 

確かにエジプトと言えばクレオパトラの国だし、北アフリカ出身のスーパーモデルもたくさんいるから納得するけれど、これは訳者による註なのだろうか、それともアガサ自身がいれた註なのかが気になり、こちらのサイトで該当部分をチェックした。

 

Far from taking part in the conversation, the younger man merely scowled at them both and then deliberately turned his back on them and proceeded to admire the agility with which the Nubian boatman steered the boat with his toes as he manipulated the sail with his hands.

 

うーん、やっぱり訳者註かー。いや、美しい人種というのはわかる!けれど註の入れ方、どうなんだろう。

 

もう一つは「フェイ」という言葉だ。

 

ミセス・アラートンが彼のそばにきて、呟いた。「彼女もずいぶん変わったわね!アスワンにいた時は、何かとっても心配していた顔つきでしたけど、今日は極端なくらい楽しそう――ひょっとしたら〝フェイ〟じゃなかったかと余計な心配をしたくなるほどですわ」

 

ここで登場人物の一人がふと語った言葉をポアロはずっと覚えており、後にポアロは婦人に「フェイ」の意味を尋ね、こんな会話が交わされる。

 

「〝フェイ〟ですって?」とミセス・アラートンは小首をかしげて返事を考えた。「そうですねえ、これは、もともとは、スコットランドの言葉で、つまり、惨事の前に起こる有頂天な幸福をさしていうものですよ。俗にいう〝嘘ではないか〟と我とわが身を疑うような喜びが、このフェイなんです」

 

気になったので検索してみると、先ほどのサイトからFeyと書くらしいことがわかった。上記の部分は英語だとこのように書かれている。

 

"Fey?" Mrs. Allerton put her head on one side as she considered her reply.
"Well, it's a Scotch word, really. It means the kind of exalted happiness that comes before disaster. You know--it's too good to be true." She enlarged on the theme. Poirot listened attentively.
"I thank you, Madame. I understand now. 

 

いくつかの辞書で調べてみたのだけれど、イギリスでのみ使われる言葉のようで少しスピリチュアル的な意味を持つ印象を受けた。

 

それにしても面白い一冊だった。文化的にも学びが多かったし、何よりも謎解きが秀逸。

 

評価:☆☆☆☆

おもしろさ:☆☆☆☆☆

読みやすさ:☆☆☆