Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#341 アガサの人生のターニングポイントを飾る作品だそうですね

 『メソポタミヤの殺人』アガサ・クリスティー

ポアロシリーズ第12弾。

 

困った癖がある。何となく読書に集中できない時、何か食べたくなる。食べている時に仕事の資料を読んだりしているのが習慣になってしまったからだろうか。良くないなあと思っているけれど、「つい」食べたくなってしまう。そして食べていると本当に謎なんだけれどちゃんと話の流れを目で追いつつ、ちゃんと理解し文字が頭の中に入ってくるから不思議だ。飲み物だけではあくびが止まらなかったり、眠くなったり、他のことをやり始めたりと本の前に座っていられなくなってしまう。でも何か食べると食べている間はしっかり集中できるので、この頃は体のことを考えて果物を食べるようにしている。

 

さて、本書も読み始めてすぐに桃を準備して読み始めた。そろそろシーズンも終わりかな。これからの時期はイチジクが美味しい季節になるので楽しみ。ただ、イチジクが出てくるとちょっと秋へと一歩近づいた気分になる。早々に桃を食べたのは今回も最初からポアロは登場せず、スタートがゆるい感じだったからだ。舞台の説明が続き、ポアロの名前が一瞬ちらっとかすめるくらいで、本格的に登場するのはかなり事態が進んでからとなる。

 

Title: Murder in Mesopotamia

Publication date: July1936 

Translator: 石田善彦

 

今回の舞台はタイトルにあるようにメソポタミヤ、具体的にはイラクで、ポアロはたまたま中東での捜査の依頼があり、バグダット経由で英国に帰ろうとしているタイミングでの出来事だった。現場は考古学の調査隊のいる庁舎の中で起こる。美しい調査隊団長の妻が何者かに命を奪われ、たまたまポアロの存在を聞いた地元の医者がポアロを呼び寄せ調査を依頼するというもの。

 

この調査隊に加わることとなったイギリス人看護婦が語り手で、事件の一部始終を医師のススメで書き下ろすというものだ。本人も文書に自信がないというコメントから始まってはいるものの、何度か文脈を理解できず読み直さなくてはならなかった。これは本文の問題なのか訳の問題なのかという思いが拭えず、内容に集中できないようなところが前半部に散見する。今見るとこの本も新訳が出ているようで、Amazonの説明をちらっと見るに登場人物の名前の翻訳も異なっていたりするようだ。本書はもしかすると新訳のほうが読みやすいかもしれない。

 

翻訳家の石田善彦さんは1943年生まれで早稲田大学法学部卒業とのこと。多くの推理小説の翻訳があるのだが、クリスティー作品は本書のみだ。この作品は2003年に翻訳されているので、割と最近のカタカナ語が登場しているのだけれど、全体的に言い回しが古い。昭和の翻訳な感じがするところで、ぽんっと今風なカタカナ語が出てきてバランスが悪い。

 

そして今回初めて私は犯人を当てた!とはいえ完全にアリバイを解いたわけではない。読んでいるうちに「こいつ、怪しいぞ」という感が当たった程度だけれど、なんとなく推理小説に慣れてきたような気持ちが高まる。

 

イラクは私たちからすると「中東」という地域だけれど、この語り手の看護婦の目にはアジアに見えているらしい。確かに英国とは環境も文化も大きく違うのでそう見えてしまうのはわかる。私もイラクとエジプトをひとまとめにしていたら、「いや、全然違うから!」と言われてしまったことがある。こういう時にやはりいろいろな地域を旅し、実際に感じで知識としたいという思いが強くなる。早くコロナが収束して欲しい。ポアロはこの帰り道でオリエント急行に乗るらしいのだけれど、ちょっと辻褄があっていないところもある。

 

 

ところで、前作ではE.Nesbit、本作ではP.J. Wodehouse作品が登場していてちょっと嬉しくなる。そして、John Keatsの詩も登場し英文学史をちゃんと勉強しなくてはと思い直すに至った。詩は学生時代によく読んだ。懐かしいなあ。

 

ガイドブックによると、この作品はアガサの人生に重なっているのだとか。アガサが考古学者と再婚し、中東に行ったことに関連しているらしい。なるほどなー。

 

評価:☆☆☆

おもしろさ:☆☆☆

読みやすさ:☆☆☆

 
 
 

La Belle Dame Sans Merci

by John Keats

 

Ah, what can ail thee, wretched wight,
  Alone and palely loitering;
The sedge is withered from the lake,
  And no birds sing.

Ah, what can ail thee, wretched wight,
  So haggard and so woe-begone?
The squirrel's granary is full,
  And the harvest's done.

I see a lilly on thy brow,
  With anguish moist and fever dew;
And on thy cheek a fading rose
  Fast withereth too.

I met a lady in the meads
  Full beautiful, a faery's child;
Her hair was long, her foot was light,
  And her eyes were wild.

I set her on my pacing steed,
  And nothing else saw all day long;
For sideways would she lean, and sing
  A faery's song.

I made a garland for her head,
  And bracelets too, and fragrant zone;
She looked at me as she did love,
  And made sweet moan.

She found me roots of relish sweet,
  And honey wild, and manna dew;
And sure in language strange she said,
  I love thee true.

She took me to her elfin grot,
  And there she gazed and sighed deep,
And there I shut her wild sad eyes—
  So kissed to sleep.

And there we slumbered on the moss,
  And there I dreamed, ah woe betide,
The latest dream I ever dreamed
  On the cold hill side.

I saw pale kings, and princes too,
  Pale warriors, death-pale were they all;
Who cried—"La belle Dame sans merci
  Hath thee in thrall!"

I saw their starved lips in the gloam
  With horrid warning gaped wide,
And I awoke, and found me here
  On the cold hill side.

And this is why I sojourn here
  Alone and palely loitering,
Though the sedge is withered from the lake,
  And no birds sing.