Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#197 後悔していることが心に浮かんでしまう物語でした

 『髪結い伊三次捕物余話 14』

 穏やかな日の中に込められた命のお話。

竈河岸 髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

竈河岸 髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

 

 

今週は世の中が大きく動いているような感がある。普段はあまりテレビは見ないのだが、在宅勤務の間はBBC(イギリス)、CNN(アメリカ)、TV5(フランス)をメインにニュースを見ている。ちなみにHULUで見ているのだけれどこれらを見るだけでも元が取れている。

 

大きな渦の中に否応なく巻き込まれていくような気がするのだが、先が見えない不安が迫ると自分がいかに勉強してこなかったのか、経験を積んでこなかったのかが悔やまれる。もっと真剣に何かに取り組んでいたら今頃もっと世の中を把握できるだろうにと反省ばかりだ。ぬるま湯の中でだらだらと過ごし、それで何となくやってこれたせいで逆にいろいろな物を失っていたと今頃になって後悔する。がむしゃらに何かに挑戦していたら、挫折や苦痛を味わっていたら、もっと強く賢い人間になっていたかもしれない。楽を優先したばかりにそのチャンスを棒に振ってしまった。

 

伊三次は父親は大工だったのだが、本人は廻りの髪結いとなった。江戸時代は家業を継ぐのが一般的だったようだが、伊三次のように親を早くに亡くしてしまった場合や、長男ではない場合はその限りではなかったようだ。伊三次のたった一人の肉親であった姉は髪結いに嫁いでいた。梅床という店を営んでおり、伊三次もそこで世話になったことから髪結いしか道が残されていなかったのだ。身内だからと薄給で働かされ、理不尽な対応であったにも関わらず伊三次は歯を食いしばって髪結いの技術を身に着けた。私のような人間には伊三次の生き方こそがあるべき姿に見える。伊三次のように生きるべきだった。一つのことに没頭してきた伊三次だからこそ、言葉に重みがある。一方私の言葉のなんと薄っぺらいことか。

 

今の日本は先人の努力のおかげで楽に過ごせるような仕組みが出来上がっている。だからこそ私のようになんの取り柄の無い者も仕事を持って働くことができている。しかも伊三次のように一つの仕事を何年続けているわけではなく、職を転々と変えることも可能だ。伊三次も弟子の九兵衛も実直だ。だからこそ一つのことをやり遂げられるのだと思う。そんな父親を見てきた娘のお吉は今は梅床で髪結いの修行を積んでいる。それが良い生き方だと思えるからこそ、その道を選ぶに至ったのだろう。

 

今回、久々に不破家の若旦那が同心見習い時に敵であった人物が再登場する。あの頃から10年以上の時を経ているが、今や毒気はすっかり抜け落ちている。旗本の息子であったにも関わらず悪事を働き続けていたこの男は、今や立派に店を構えている。このストーリーを読んでいるうちに、自分の中にわだかまっていたものが少し溶けていくような気がした。昔の後悔に苦しむならば、今から改めればよい。

 

不破家には昔作蔵という中間がいた。捕物で命を落とすのだが、伊三次は作蔵を父親のように慕っていた。物語にふと作蔵の思い出が出てきた時、思わず涙してしまった。14巻にも命がテーマとなる物語が多い。そして今回は10巻のあとがき時に別のところにかかれていた著者のあとがきと、女優の杏さんによる解説が添えられている。

 

シリーズも残すところあと1冊となった。きっと著者はもっと書き立っただろうと思う。なぜなら14巻まで読んでみると、あと1巻でこの話をうまく終わらせるような流れにはなっていないからだ。ただ、1巻で読み切りとなる話も多いのので「ここで終わり」と読者が心の中でピリオドを打つことはできるだろう。次は最後の巻。