Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#041 梅雨入り

 寺田寅彦が語る日本固有の自然について。

日本人の自然観

日本人の自然観

 

 とうとう関東も梅雨入り。生活の上では不便を感じることがいくつかあるけれど、読書の上では雨は歓迎したい。なかなか読み進まずにいた本が、なぜか雨の日になると集中して読めたりもする。

 

ところで初めてイギリスに行った時、天気予報を見ていて驚いたことがある。雨のことをshowerと表現していたことだ。rainではなくshower。日本では雨でも季節や降り方によって数々の表現がある。ひどい時は台風だし、傘がいらないような日は小雨だとか霧なんていう言い方もする。そんなことをぼんやり思い出しながらこの本を読んだ。

 

寺田寅彦はヨーロッパに留学し、中でもドイツには長く逗留したらしい。日本と異なる環境に身をおく時、最も恋しくなるのが自然である。今や海外でも春に桜を見ることができるが、日本での桜と海外で見る桜、同じ品種でも自分は異空間にいるんだという思いが強まるばかりだった。空気の重さや軽さ、風の吹き方、周囲の草花、何か一つ欠けただけで「あの懐かしい桜ではないんだ」という寂しさが余計に強まるだけだった。

 

日本の気候には大陸的な要素と海洋的な要素が複雑に交錯しており、また時間的にも、週期的季節的循環のほかに不規則で急激活発な交代が見られる。すなわち「天気」が多様でありその変化が頻繁である。 

 

「日本には四季がある。」というと、「我が国も同様だ。」と答える人がいる。それは上に寺田が言うように天気が多様であるということを伝えたいが故と思い至った。赤道直下の国に四季はないと思いがちだが、現地に住んでいる人たちには1月と5月では天候に違いがあり、それを「四季」というのかもしれない。日本と緯度的に近い地域でも行ってみるとやっぱり違う。イギリスは日本同様島国だが緯度は日本より上にある。夏はカラッとしているけれど冬はじめじめと小雨が降っている。逆に日本は夏こそ梅雨で湿度がぐんと上がるが冬は乾燥で保湿に余念がない。

 

私達が四季と感じるのは、山の変化であったり川の流れや海の色だったりするのだが、この本を読んで私達が想像する「山」は世界各地で同様のものが想像されているわけではないということにはたと行き当たった。岩だらけの山もあれば、万年雪の積もった山もあり、日本のように木々に囲まれた山が必ずしもあるわけではないのだ。

 

常々日本の文化は自然に作られていると考えていたが、自分ではぼんやりと感じるのみでうまく言葉にすることができずにいた。そしてこの文章に行き当たりなんとも満たされた気分になった。

 

日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た。 

 

慈母の自愛と厳父の厳罰。自然の豊かさと厳しさ。私達は「四季」という言葉の中にもこの自愛と厳罰をしっかりと感じ取っているが、海外の方々はどうなのだろう。だからこそ日本には短歌や俳句があり、書き手の感情がどっと読み手に流れ込んでくるのは季語が情景を想像させる鍵となっているからではないだろうか。ビジネスの場でも若葉の候、皆様におかれましては…などと季語を入れるメールが今も毎日行き交っているし、スピーチでも季語は欠かせない。

 

日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のことであろう。山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。それをあがめそれに従うことによってのみ生活生命が保証されるからである。

 

そして私達には四季に見えないものを見る。それが八百万の神々である。自然崇拝を尊ぶ民族は多けれども日本のように八百万もというのはかなり奇異な部類に入るというのをどこかで読んだことがある。寺田曰く、仏教はその無常観が日本の風土に適応したからだと言う。加えて私達の大地は時に震える。厳父の厳罰が自然の中に神を観せているに違いない。

 

鴨長明方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っているからである。

 

今では旧暦の行事はどんどんと減る傾向にあるが、節分には豆をまき、冬至にはかぼちゃと小豆を食べるなど、生活の中に四季が織り込まれていた。この本は今、四季を体感する上で最も参考にしている本だ。おかげで可能な限り四季を感じる生活を楽しんでいる。「はしり」を喜び、「旬」を楽しむ食文化も四季に由来するが、一つでも実践してみると生活にメリハリが効くようで愛着が強くなる。

 

日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―

日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―

  • 作者:白井 明大
  • 発売日: 2012/02/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

なぜ、急に梅雨に日本の四季に思いを寄せたかというと、またいつか日本を出て生活する日が来るかもしれないから。今のうちに、手を伸ばせば届くところにあるうちに多くを学び、堪能できる自分を作りたい。民芸を好むようになったことも、大和言葉を意識するようになったのも、一つでも多くの和食を手作りできるようになりたいのも、すべてはどこにいても結局私は日本人だからである。