Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#038 心を立て直したい時に必ず読む詩

詩。日本人としてこう生きたいと思う。

 

〔雨ニモマケズ〕

〔雨ニモマケズ〕

 

 

kindle青空文庫には本当に助けられている。名作が無料で読める。しかもリビングにいながらにしてすぐにゲットできる。

 

2016年8月19日の日経新聞宮沢賢治記念館で「雨ニモマケズ」を記した手帳が公開されたというものがあり、記事には写真が添えられている。

 

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強く朴訥とした文字がより一層この詩に力を与えているように見える。記念館、一度訪れてみたい。

 

だれもが知っている宮沢賢治の代表作ではあるが、没後に発見されたものだそうだ。弟が賢治のカバンから見つけたものらしく、黒革の手帳に青鉛筆で書かれている。

 

この純朴な言葉に何度支えられたかわからない。3.11の東北のみなさんの強さはこの岩手の作家の心と同じく、この詩のように、この詩とともにあったのだと思う。雪の降る地域に住むと、自然に寄り添わずして生きることができないことを知る。雪が積もってしまえばいつものような生活はできない。重い雪に屋根を覆われ、芯から身体が冷えてくる。どこに行くにも夏より時間がかかるし、暗くなるのもとても早く陽がさす時間も極端に短くなる。行動が自ずと制限されてしまう。まるで閉じ込められたかのように。自然から学ぶ哲学のようなものがあるとすれば、祖父母や両親から学ぶ自然と上手に付き合う暮らし方に気づきを得ることだろうか。私もそうだった。雪が降り根雪になってしまったら、そこはもう別の国に住むかのようにライフスタイルが全く違うものになった。岩手県花巻市も、カナダのモントリオール市も、スウェーデンストックホルム市も、みんなそんな国とか都市の概念なんかを乗り越えてただ単に「雪国」になってしまう。春までは長く暗くて雪が解けても道路は泥濘み、ああ春だ!と心から楽しめるのは実に東京では桜も散った後のことだった。

 

そういう意味では、賢治の作品は北欧の童話にも類似するところがあるように思う。年の半分は屋内にいる子どもたちにとっては、妖精や妖はちょっぴり恐いけど魅力的で、どこにいるのかな?と想像する時たいていは暗闇にいるものだと想像する。暗闇といえば夜の森。

 

なんだか心が折れそうで、自分の立ち位置が見えなくなった時には必ず読んでいる。反省を繰り返して生きている中でそのうちその反省が風化してすっかり忘れてまるで最初からなかったかのような気持ちになることがある。本当はただ時が流れただけで、その罪悪の質は全く変わってはいないのに、それを抱えて生きることに慣れてしまったに過ぎないのに。でもぽっかり心に余裕の空白ができてしまった時に何故か思い出すのだ。自分の惰性とその辜と諦めを思い出す。そして自分がまっすぐ歩いてないとまた反省をする。そしてどう生きていきたいかというと、やっぱり「雨ニモマケズ」実直に生きたい。

 

この青空文庫版を読んで、詩の最後に経典が書かれていることを知った。賢治は日蓮宗の信徒だったそうだ。これは祈りの詩なんだと思う。健康な心で生きていけますように。

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ