Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#023 読書の合間に原点に寄り道~三四郎

熊本県の高等学校を卒業した三四郎東京帝国大学文科の学生となった。汽車を乗り継ぎ東京へ向かう。三四郎の東京でのStray Sheepたる新たな生活が始まる。

三四郎

三四郎

 

 GWが終わった頃まではまるで夏が来たかのような暑さだったのに、先週は急にどんよりと寒い日が続いた。一度片付けた冬物の寝具をもう一度出してみたり、半袖ばかりのワードローブの中に唯一残っていたカーディガンを羽織ってみてもまだ寒い。そもそも寒いのはあまり得意ではないのでぐずぐずと一週間を過ごしてしまった。

 

同時に数冊の本を読み進めることが多い。寝る前にはゆったりした本が読みたいし、移動の際には軽く読めるものがよい。週末には没頭しながらじっくりと読書を楽しみたい。今読んでいる本にちょうど「三四郎」のエピソードが出てきたので久々に読みたくなった。この本もKindleの無料版にて読む。

 

明治~昭和初期の作品を読むとき、私はテンポに注目することが多いような気がする。音読しているわけではないのだが、自然と音が出てくるような文章。確か黙読していたはずなのに、どこからか朗読が聞こえてくる。そんな感覚を楽しんでいるうちに、自ずとそのテンポの良さの所以を追いつつストーリーにのめりこんでいる。

 

三四郎もそんな作品のうちの一つで、熊本の親元を出て東京を目指す道中、汽車での出来事が若い三四郎の心の浮き沈みを表している。飛び跳ねたり牛歩になったり、社内の物音や汽笛の音さえ聞こえてきそうな流れの良さから始まる。

 

三四郎の東京生活はおおむね本郷の学校当たりが舞台になっている。登場人物はほぼ大学や学問に関わっている人で、それ以外は熊本のおっかさんと三輪田のお光さん。都会と田舎の違いが見え隠れする。もうこの頃すでに東京は都会で田舎との差は歴然だったようだ。三四郎にとっては田舎=おっかさんであったから、決して熊本を自ら田舎と毒づくことはない。

 

三四郎を読んでいてふと思ったことが2つある。一つは演技をする方にとって、この小説を音読するというのはどんな気持ちだろうかということ。活舌よく流れにのって読み聞かせれば、きっと演技の技量を大いに評価されるだろう。若者の心の動きが主体のお話なので楽しく演じられるのではないかと思った途端「いや、演技はそう簡単なものではないな」と思ってしまった。声のボリューム一つ、高低一つが「表現」なのだから、どこに重点を置くかの選択こそがもろに評価される。いきいきとした活力や若者らしい怠惰をどう表すか。その人の演技のセンスや読解力が露わになるのかと思うと私には絶対に無理だなと思った。

 

もう一つは修学旅行。もっと国文学探訪をテーマにした修学旅行があってもいいと思う。海外で見聞を深めるのもいいけれど、国文学の舞台を歩くようなプランをもっと導入してみてはどうかと思う。三四郎が日ごろ歩いている本郷界隈。地名がよく出てくるが、土地勘のないものには単にぷらぷらしていたんだな、たくさん歩いたんだな、くらいの想像が関の山だろう。実際に歩いてみればもっともっと感じ入るところが増えると思う。海外に行くのはもっと後でもいいと思うし、ましてやまだ成人もしていない自身の考えすら曖昧な子供たちに「大戦で日本人が海外で何をしてきたのか」などと大きなテーマを背負わせる修学旅行で何を学ばせようというのだろう。それならば国文学作品の舞台を巡ることでも歴史を学ぶことは可能である。海外に出るより費用も安いし内需も潤う。

 

100年くらい昔の作品を読むことで語彙を補うことがある。今回はこんな言葉を覚えた。

 

次に 大通り から 細い 横町 へ 曲がっ て、 平 の 家 という 看板 の ある 料理屋 へ 上がっ て、 晩飯 を 食っ て 酒を 飲ん だ。 そこ の 下女 は みんな 京都 弁 を 使う。 はなはだ 纏綿 し て いる。

【纏綿】てんめん

[名](スル)

  1.  からみつくこと。「蔦 (つた) が木に纏綿する」「選手の移籍に纏綿する問題」

  1.  複雑に入り組んでいること。

    1. 「其娘さんはある―した事情のために」〈漱石行人

[ト・タル][文][形動タリ]心にまつわりついて離れないさま。「情緒纏綿として去りがたい」
 
三四郎 は こういう 場合 に なる と 挨拶 に 困る 男 で ある。 咄嗟 の 機 が 過ぎ て、 頭 が 冷やか に 働き だし た 時、 過去 を 顧み て、 ああ 言え ば よかっ た、 こう すれ ば よかっ た と 後悔 する。 と いっ て、 この 後悔 を 予期 し て、 むり に 応急 の 返事 を、 さもし ぜん らしく 得意 に 吐き 散らす ほどに 軽薄 では なかっ た。 だからただ 黙っ て いる。 そう し て 黙っ て いる こと が いかにも 半間 で ある と 自覚 し て いる。

[名・形動]

  1.  全部そろっていないこと。中途半端なこと。また、そのさま。はんぱ。「半間な全集」

  1.  気のきかないこと。まぬけなこと。また、その人や、そのさま。

「ある とも。 恐るべき クールベエ という やつ が いる。 vérité vraie. なん でも 事実 で なけれ ば 承知 し ない。しかし そう 猖獗 を 極め て いる もの じゃ ない。 ただ 一派 として 存在 を 認め られる だけさ。 また そう で なくっ ちゃ 困る からね。 小説 だって 同じ こと だろ う、 ねえ 君。 やっぱり モロー や、 シャバンヌ の よう なのも いる はず だろ う じゃ ない か」

 【猖獗】しょうけつ

[名](スル)悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。「コレラが猖獗を極める」

 

技巧 の 批評 の でき ない 三四郎 には、 ただ 技巧 の もたらす 感じ だけが ある。 それ すら、 経験 が ない から、 すこぶる 正鵠 を 失し て いる らしい。 芸術 の 影響 に 全然 無頓着 な 人間 で ない と みずから を 証拠立てる だけでも 三四郎 は 風流人 で ある。

【正鵠】せいこく

《慣用読みで「せいこう」とも》

  1.  弓の的の中心にある黒点

  1.  物事の急所・要点。

 

 昔祖母が桃ののことを水密(桃)と言っていたのを思い出した。古き良き、懐かしき昭和。