Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#677 もうひと手間で美味しくなる~「出張料理みなづき」

『出張料理みなづき』十三湊 著

料理で癒し、癒される。

 

怒涛の旧正月旋風もあと残すところ数日となったが、これがなかなか忙しい。ランチやディナーは予約できるところが多いので問題ないのだが、朝はそういうわけにもいかずで毎日お呼び出しがかかる。皆さん朝がお早く集合時間が6時台だったりするので、これが10日続くと結構辛い。特に朝からボリューミーなものを食べなくてはならない時は逆に体調が悪くなってしまい、それが一番辛いかな。

 

さて、本書はそんなお腹いっぱいの時より、心とお腹に余裕がある時に読むべきだったと後で再読を検討したくなる一冊だった。「食べる」より「料理する」な気持ちを上げてくる。

 

主人公の季実はいわゆるブラック企業で心を病み、新卒から2年で退社した。学生時代はずっとハンドボールをやっていたことから「私は強い」とどこか自信があったはずだ。だが、会社生活の中でそれはぽっきりと折れてしまった。

 

心配した両親は、母親の実家に季実を預けることにする。祖母は本郷でかつて下宿屋を営んでいた。高齢にもなり今はもう下宿は受け入れていないが、ひとまず季実は祖母のもとで心身の健康を取り戻すことにした。

 

静岡の実家を出て祖母の家へ着くと、下宿にはいないはずなのに人がいた。季実より少し歳上の女性で祖母ともうまくやっているようだ。その女性は桃子さんと言い、祖母の分も含めて食事の準備をすることで安く住まわせてもらっているという。

 

桃子さんは料理人で、どこかに勤めるのではなく「出張料理」として出向いた先で料理をする。なんとなく志麻さんを想像させるような設定だ。桃子さんの作るものは和食がベースになっており、季実も少しずつそのお手伝いをするようになる。

 

皆それぞれに辛い時期を乗り越えてまた一歩大人へとなるわけだが、その過程に料理が関わっているというストーリーだ。桃子さんは自分がそうであったように季実に優しく料理を教える。それが結構具体的でためになる。ちょっとメモしたいような気分になるものもあり、手際良く、より美味しく作る心得のようなものが学べて一石二鳥だ。

 

今は「あと少し、あと少し」と指折りカレンダーを見ながら休息の日までを数えている。何か作りたいなー

#676 ええ!もう終わりなの!?~「後宮の烏 7」

後宮の烏 7』白川紺子 著

最終話。

 

年末より読み始めたシリーズ。本書が最終話である。


1巻から5巻まではとにかく圧巻の設定で、大陸を思わせる国の王室が舞台となっている。時代設定も文明前で、王宮には数名の妃が暮らしていた。妃らの暮らす場を後宮という。その後宮にたった一人、王とは褥を共にしない妃が居た。名を烏妃という。

 

烏妃は代々続くものだが、血縁による代替わりではない。現妃の代が終わりに差し掛かる頃、烏妃の住む夜明宮に住む金色の鳥が矢を放つ。その矢を受けたものが次代となる。

 

現烏妃である寿雪は、前王朝の血を引く者で銀髪であった。銀髪は前王朝一族の特徴とされ、残された一族は現王朝の命により命を奪われた。寿雪の母は遊里に身を売られ、寿雪とともに髪を染めることで難を逃れていた。ところが母は追っ手に捉えられ、寿雪は一人で逃げ延びそのことを苦としている。幼い寿雪は金の矢が届く幼少期までを奴隷として過ごしていた。

 

烏妃という存在は国神とも言える烏漣娘娘とをつなぐ巫女のような役割といえば良いのだろうか。巫女であれば、神の言葉を聞き、時には身を貸すことで現世と幽世を繋ぐものと想像するが、烏妃は体内に神を抱えている。新月の夜になると烏漣娘娘はその羽を伸ばして空を舞う。烏妃にとっては身を切られるほどに痛みを伴い、代々の烏妃もその辛さに耐えられないものが何人も続いたという。

 

現王の高峻は寿雪と少なからず何か心つながるものがあると考えている。連盟のような同志のような、心のつながりが二人を支え、守り、成長させていた。もしかすると愛もあったのかもしれないが、その関係を深めることのできない己の立場に苦悶した日もあっただろう。

 

高峻は、幼くして後宮へ入り、烏妃となっては後宮から出ることのできない烏妃を憂いた。烏妃というよりは、寿雪を縛る「烏妃」という立場を断ち切ろうと歴史を辿り、大きな変化を志す。本巻はその最終章であり彼らの人生の終わりまでを映し出している。

 

6巻あたりから烏妃の存在を断ち切るためのストーリーへと移るのだが、そのあたりからものすごく駆け足となり、最終章の7巻に至っては全速力で走っているかのようにあっという間に物語の中の時が流れていく。シリーズものが終わる時、この後主人公たちはどうなってしまうんだろうという、物語が終わってしまう寂しさやまだまだ読み足りない気持ちなどが入り混じる。本作はその点では綺麗に読者を納得させてくれるのだが、とはいえやはり鍵となる烏妃や神々とのくだりはもっとじんわりと読みたかったかなと思う。

 

ハリーポッターまでとはいかないが、アジアらしい世界観のある強烈なファンタジーだった。またこんな楽しい作品に出会いたい。

#675 今に通じるものがありますね ~「居眠り磐音 5」

『居眠り磐音 5』佐伯泰英 著

年始の磐音。

 

この頃楽しんでいるシリーズ。どんどんと引き込まれてしまい、すでにやめられない止まらない状態だ。

 


年末、というか4巻で磐音は懇意にしている南町奉行所の与力、笹塚の頼みもあり吉原に詰めていた。事件も無事に片付き、その御礼にと吉原会所の四郎兵衛から馳走を受け、ほろ酔い気分で元旦金兵衛長屋へと戻ってきた。小正月を過ぎてはしまったが、まだまだ余韻のあるこの時期に年始の話を読むとものすごく実感が伝わってくる。

 

両替商の今津屋の用心棒業で出会い、それから友人付き合いの続く品川柳次郎と竹村武左衛門とも年始から交友を深める。珍しいことに子沢山なのに酒好きで日々生活が苦しい竹村から「雑煮を食おう」と誘いがある。めでたい年明けだ。

 

磐音には亡くした親友がある。その妹と祝言を上げる予定だったが、生活苦に遊里に身売りをするも、その美貌から長崎、京都、そして吉原へと場所を変えるごとにその値は千両もの大金となった。すでに身請けするにも磐音の手にも負えないほどの金額まで膨らんでいる。

 

年始から磐音の周りは忙しい。なぜなら江戸での事件が続くからだ。そもそも磐音はなぜか事件に出くわすことが多く、加えて武道の腕を買って南町奉行所からも声が掛かる。本作でもいくつもの事件に触れている。

 

さて、ここで大きく動いたことがある。それは磐音の属した豊後関前藩の近況だ。関前藩は先の老中の失態や、主の気質もあるのだろうが、6万石の小藩でありながらすでに借金はその5倍以上に膨らんでいる。磐音と御直目付の中居は藩を立て直すべく、藩内に蔓延った悪の芽を断った。そして磐音の父が国元にて藩を守り、新たな財政を振るうこととなった。

 

そして現在藩主の参勤交代が終わりとなり、主は関前へ戻ることとなるもその費用すら捻出できない程である。磐音の父は、藩の窮状を書面にしたため磐音へと助けの手を求めた。磐音は用心棒家業から両替商の今津屋への出入りがあり、信頼を置かれている。そこで今津屋に力を貸してもらえる様、頼んで欲しい。願わくば主の関前行きの費用も貸してもらいたい。父の手紙は切実であった。

 

加えて、藩主の帰城に伴い、分家筋の嫡男が江戸家老としてやって来るという。磐音は新しく藩が取った体制を支えるべく翻弄する。そして許嫁奈緒のことを片時も忘れず、そして遠くから見守ることを決めた。

 

とにかく磐音の人柄に惹かれ、自分もこう実直謙虚に生きなくてはと思う。そして藩の財政というのは企業に通ずる部分もあり、関前藩のような弱小の組織がどうのように借金を返していくのか、どのように周りからの信用を盛り返すのか、どのように人を育てていくのか、とにかく楽しみで読書の手が止まりません。

#674 字から受ける印象~「後宮の烏 6」

後宮の烏 6』白川紺子 著

切り離す。

 

旧正月とやらがやってきまして、お客様ラッシュもやっと折り返し地点です。あと1週間、がんばる。外国人観光客の横で日本のおもてなしを見ていると、観光業の素晴らしさに感動する。どんな時間でも爽やかに温かく対応してくれるし、嫌なそぶりなど全く見せない。携帯で遊んでいる人なんて一人もいないし、私用電話に待たされることもない。そういう小さなことが外国人の方には響くようだ。ただ、お店でショッピングしてラッピングにかかる時間はどうにかならんのか。なんであんなに過剰に包むんだ@デパ地下のお菓子、は改善して欲しいとのこと。確かにわからないでもないな。

 

さて、この頃読んでいるシリーズ。現在は7巻まで発行されているので、早々に読んでしまうことにした。

 

6巻目に入り、「漢字の妙」についてより楽しみながら読んでいる。というのも、無理だとはわかっていながらも、この作品を私ならどう英訳するか、という側面からも読んでみたからだ。本書、アニメは少女漫画風?なタッチで若年層をターゲットとしたかわいらしさもいいのだが、全作見たわけではないけれど主人公同士がキラキラでなんとなく恋愛を奇想させるような設定に違和感を感じた。6巻まで読んでみると、皇帝高峻も烏妃寿雪も社会を支えるという自覚があり、歴史に翻弄されながらも政治を司り、国を守る能力に長けている。確実に非凡で有能な人たちだ。アニメ風もいいのだが、もう少し大人テイストでの表現法が似合う気がしてきている。

 

英訳しながら思ったのだが、漢字というのはそれ自体の持つ複数の意味や字面から感じるアート的な雰囲気、更には音/訓読みの与える二重の音の楽しさなどなど、私なんかの力量ではとてもじゃないけど翻訳できない。英詩を読む際にリズムや韻、他にも視覚的なメッセージや音的なメッセージ、単語一つ一つの持つ複合的な意味や味わい方など、こちらも和訳が難しい。本作のように逆の場合もしかりで、漢字の見せる妙には物語を大きく広げる深さがある。

 

さて、寿雪は一心胴体であった神、烏漣娘娘を切り離すべく、高峻らとともに策に及んだ。しかし初代烏妃の業は深く、歴代の烏妃の悲しみが一気に押し寄せてくる。そして、息を吹き返した神が寿雪の体を乗っ取った。

 

寿雪の意識は遠くへと飛び、変わりに神が後宮に降りてくる。それは寿雪の体や、他の媒体を通して己の言葉をつぶやき始める。見えない世界が急に人間の下へ降りてくるのだが、なんとも弱くまるで子供のような面がある。

 

高峻は寿雪を完全に自由にすべく翻弄し、どうすれば寿雪の意識を取り戻せるのか、どうすれば見えない世界との柵を解くことができるのか、知恵を絞る。寿雪はまだ16歳だ。少女であるにも関わらず、数々の辛苦が確実に寿雪の中で力に変わっていく様子は圧巻。

 

まだ終わりは見えないが、ディズニーあたりで作品化してくれないかなあ、なんてことを考えている。

#673 感覚を研ぎ澄ます~「居眠り磐音 4」

『居眠り磐音 4』佐伯泰英 著

奈緒の行方。

 

この頃気合を入れて読んでいる作品。

 

シリーズものはリアルタイムで読んでいると終わり来るのが悲しくなる。すでに刊行されているものであれば全体のボリュームがわかるので心置きなく没頭できるのが嬉しいところだ。

 

まだまだ4冊目だというのに物語は相当動く。主人公の磐音は豊後関前藩を脱藩し、江戸で浪人として暮らしていた。実直な生活で、武士であっても偉ぶるところもなく、加えて文武両道で人柄が良い。江戸の生活にも馴染んだ所、磐音は藩内に蔓延る悪の芽を摘むことに加担した。久々に豊後へ戻り、悪を成敗し、殿の言葉に応えて藩政を取り戻したまでが3巻目のお話だ。

 

さて、その磐音にはかつて親友がいた。最後は己の手で友の命を絶つことになったが、片時も忘れずに過ごしている。磐音はその友の末の妹と婚礼を迎える予定であった。ところが藩の策略に嵌り、友は世を去り、許嫁は家を支えるために身を売った。

 

許嫁の奈緒は豊後からまず長崎に売られた。磐音は奈緒を追って長崎に向かう。そこから奈緒の足跡を追うのだが、それがなかなかたどり着けない。奈緒は磐音が探しに来るであろうことを予期してか、立ち去る前に絵を置いて行った。

 

やっとの思いで楼を探すも、すでに奈緒は立ち去った後。なぜか次々と所を移し、その度に奈緒は高値で売られていく。ついには千両を越え、所在を確認した磐音は奈緒を身請けするための手段を考えなくてはならない。

 

未だ奈緒の居場所ははっきりしていないが、それでも磐音は奈緒の無事を祈っている。磐音と奈緒の事情を知った人々はみな磐音に手を貸し、彼らの無事を心から願っていた。磐音の語る言葉は無駄がなくストレートで読者の心を打つ。

 

私が時代小説が好きなのは、もう過去へ戻ることができないという点で完全にファンタジーでありながらも、歴史として残され学んだ風景が心に浮かんで身近に感じるからだ。そして自分の気が緩んでいるせいか、武士の実直な生活や心持ちに感銘を受けるからだ。芯のある人間でありたいと思いながらもそれが果たせずにいるので、磐音の姿に「ああ、こうあるべきだった」と教えを受けている気分になる。

 

目の前のやるべきことに集中できるのは、やはり武道のおかげなのだろうか。「道」とつくものには心を「静」の状態に切り替え、感覚を研ぎ澄ますものがあるのだろうか。1巻読む事に心が太く強くなる感覚に楽しくなる。

#672 アジア版の大ファンタジーについて妄想する~「後宮の烏 5」

後宮の烏 5』白川紺子 著

呪縛を切り離す。

 

この頃読んでいるシリーズものの第5弾。


ストーリーの大筋は、王宮の中、妃らが暮らす後宮に烏妃という者がいた。帝の夜伽はせず、国の神を祀る烏妃は巫術を使い、夜明宮にたった一人で暮らしていた。烏妃は代々夜明宮に住む金色の鳥が矢を放ち、その矢によって選ばれたものがやって来る。烏妃の次代まで8年あまりとなると矢が放たれ、次の烏妃となる者が後宮にやってきた。

 

烏妃は烏漣娘娘という神と一心同体で、これは初代の烏妃から脈々と継がれたものだった。現在の烏妃である寿雪は、その呪縛とも言うべき悪しき過去を断ち切ろうとする。帝の高峻も寿雪になにか自分に近いものを感じているのか、寿雪の自由を考え、烏妃の縛りを断ち切ることにした。

 

その方法はたった一つで王宮をぐるりと囲む9つの門に仕掛けられた初代の術を解くこと。そこにたどり着くに多くの時間がかかったが、方法も決して簡単に結界を解くことができないと知らされる。一歩一歩前進し、今、寿雪は烏妃のしがらみから切り離されようとする。

 

本シリーズは舞台が大陸を思わせる架空の国で、呪術などの幻想的な設定があるせいかアジアらしいファンタジーとなっている。年末にハリーポッターの映画シリーズをいくつか見ていたのだが、もし日本でハリーポッターのような大人も子供も楽しめるファンタジーが生まれるとしたら、恐らくそれは実写版というよりはアニメになるのではないだろうか。そして秀でた何かを持つ者が主人公で、確実に前に進みつつ成長するようなストーリーが好まれると予想する。

 

上橋菜穂子さんのシリーズにも素晴らしいファンタジー作品が多いが、やはりなんとなく大陸を連想させるものがある。映画化するなら香港映画風になりそうな、アクションあり恋愛ありの活劇風で、もし日本を舞台に世界で受け入れられるような作品を書くなら、どんな設定が良いのだろうと妄想している。

 

欧米人の抱くミステリアスなアジアを全面的に出すにしても、着物で手裏剣扱う主人公とか妄想すると、初めてカリフォルニアロールに出会った時のような大きな違和感になりそうでそれはそれで楽しんではいる。本作品はすでにアニメ化されてはいるものの、5巻目まではあらゆる可能性が羽ばたいていて「映画化して欲しい」な気分でいっぱいだ。

 

後宮から出ることのできなかった烏妃の運命がこれからどう開かれていくのかが楽しみ。

 

#671 輝き方~「千両かざり 女細工師お凛」

『千両かざり 女細工師お凛』西條奈加 著

才能と努力。

 

1月も半ばを過ぎ、そろそろ海外からのお出ましが増えてきた。今年は1月22日が旧正月だそうで、中華圏のお国の方から「遊びにいくよー」と今週は入国予定が続いている。加えてなぜか欧米からのお客さんも多く、聞くと「スキーしたいから」という回答があった。個人的には外国からのお客様が日本の経済にプラスの影響を与えて下されば御の字だと考えるが、インフルエンザやコロナには注意しつつお客様を迎えねば自分も大変になってしまう。どこかで代休取れたら家にこもって読書三昧したいなあ。

 

さて、現在シリーズものをいくつか抱えて読み続けているので、合間合間にそうではない作品も読んでいきたいと思っている。昨年は時代小説にばかりに傾いていたので(面白い作品との出会いが多かったのです)、今年は現代をテーマにしたものや、小説ではないもの、洋書などもたくさん読んでいきたい。そして今までは気分的にアップしていなかったのだが、仕事のために読まざるを得なかった書籍なども記録しておきたいと思う。

 

さて、本書はタイトルに全てが詰め込まれているような作品で、飾りものを作る女細工師の物語で、その名をお凛という。もうこれで全ての説明が終わってしまうのだが、もう少し詳しく備忘録として残しておきたい。

 

お凛は椋屋の事情である。椋屋は飾りものを作る店で、簪など女性用の小物が中心だ。椋屋を立ち上げた初代は、兄は小間物屋を、弟は飾り屋をとのれんを分け、長く二つは強い絆で結ばれた商いをしている。現在は4代目を姉のお房の夫である宇一が継いでいるのだが、その宇一が病に侵された。跡目は先代が指名することとなっており、病床の宇一も5代目に誰を据えるか考えに考えた。

 

宇一は先見の明があり、今後の椋屋だけではなくまるで江戸に何が起こるかまでを知っていたかのように、全てを遺言として残していった。そして亡くなる前にはお凛を呼び寄せ、小さな頃から飾りに親しんできたお凛こそ、この店を守る柱であると告げる。

 

さらに現在5代目を継げるほど腕のある職人がいないこと、椋屋の職人が力をつけるにはある人物を連れてくる必要があることなども宇一はすべて指示を出していた。その人物とは、以前京都などでも修行の経験があるという時蔵というなの飾り師だ。50日の投獄の刑にあるが、その期日を終えたら必ず迎えに行くようにとの指示に従い、お凛は時蔵を椋屋に迎え入れる。

 

時蔵は我が道を行くかのように、なかなか椋屋の職人たちとは相容れない。さらに時蔵の技は卓越しており、他の職人たちに嫉妬を起こさせるほどのものであった。お凛は小さい頃から影で細工作りを学んでおり、何よりも細工が好きだった。お凛も一瞬にして時蔵の作品に魅了される。

 

宇一は5代目は3年後に決めるようにとの遺言を残した。その3年間の間におこった椋屋の成長の記録が記されているような作品。切磋琢磨することで技術は磨かれるものだろうが、感性というのは持って生まれた能力であろう。

 

与えられた能力を活かせることほど幸せなことはない。人はそれぞれ何等かの優れた面を持って生まれてくる(と思う)。それぞれの輝き方は異なれど、何か必ず持っているはずだ(と思う)。LED並みにずっと長い間ものすごい明るさで輝き続ける人もいれば、花火のようにドカンと一発盛大に輝く人もいる。同じ豆電球でも明るさや輝く長さが異なるし、その輝き方に正しいとか正しくない、なんてことはない(と思う。)

 

その輝き方を最大限にできるように、私たちは自分を磨いたり、工夫したりする必要があるのだろう。そうすることでより明るく、遠くまで、長く輝けるようになる。

 

この頃どうも「人」によるストレスにまいっていたのだが、本書を読み、才能や輝き方についてあれこれぼんやり考えているうちに、自分を輝かせることに集中していたら、外野の様子なんてあんまり気にならなくなることに気が付いた。仕事しない、社会的モラルに乏しい、個人の利益と保身ばかりに執着し、働くふりで上へのご機嫌取りだけが「仕事」。業務はすべて部下に振り、本人は会社ほど楽なところはない!な生活をしている上司をお持ちの方、時蔵やお凛のように生きてみるとストレスも少し軽減できるかもしれませんよ。