Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#381 ポアロシリーズ第22弾~「杉の柩」

『杉の柩』アガサ・クリスティー

ポアロシリーズ第22弾。

 

この頃すっかり遠ざかっていたアガサ・クリスティー推理小説。翻訳小説を続けて読んでいると、言葉の流れに疲れてしまうことがありしばらくお休みしていた。どういうわけか読む速度も落ちてくるし集中力も欠けてくる。8月に読み始めた頃には年内には読み終えるだろうと思っていたけれど、そう簡単ではないようだ。

 

さて、今回の作品の基本情報はこんな感じ。

Title: Sad Cypress

Publication Date: March 1940

Translator: 恩地三保子

 

本作は児童文学の翻訳でおなじみの恩地さんの翻訳で、恩地さんは東京女子大英文科卒、福音館書店の翻訳では本当にたくさんの作品を読ませて頂いた。

 

私はKindleで読書しているのでページ数での記録はできず「全体の何パーセントまで読みました」という表示をもとに書き残すしかない。今まで21冊での作品パターンではポアロは早い段階から登場するものが多かった。導入部ははじめの30%ほどで、謎解きは早い時は70%を過ぎたあたりから、ポアロが登場人物を一同に集めて「ではみなさん」と彼の推理を語り始める。あくまでも私が目安としているものなので、全作品に適応するわけではないだろうけれど、読書中にページの下に現れる数字に「今はどのくらいのところにいるんだな」というのを感じ取りつつ読み進めている。

 

さて、この作品はそういう意味では今までのパターンを崩すものだった。まず、ポアロの登場なく、40%まで事件の導入部が進んでいった。田舎町に住む老婦人が体を壊して自宅で長い間療養していた。老婦人には血のつながった姪と、血縁の無い甥がいる。姪と甥は小さなころから互いを知っており、今は婚約の関係にあった。ある日彼らは電報を受け、ロンドンから老婦人のもとへ向かった。

 

老婦人は身の廻りの世話を同じ町に暮らす召使に任せており、主治医や看護婦も町の人たちである。また門番の娘をいたく気に入っており、学問を身に付けさせあれこれ気にかけていた。その娘はメアリーと言い、とてもとても美しく気品があり誰からも好かれていたようだ。

 

ある晩、老婦人の様態が悪化し夜中に息を引き取ってしまう。そこから事態はどんどんと謎めいた方向に進んでいき、ついに殺人事件が起きてしまう。ポアロの登場はここからで、殺人が起きた後、容疑者としてつかまった者を弁護して欲しい、罪のありかを真相を見つけて欲しいと頼まれる。いつもの通りに頭を使い、現地に行く前に推理がどんどんと進む。

 

ポアロの謎解きは80%を過ぎたあたりからぽろぽろと上がってはくるのだけれど、今回はいつもとは違い、ポアロの語りはあまりない。それがまた逆に新鮮でよかった。そしてあらゆる状況の説明をポアロ自身がなすのではなく、導入部で登場人物により語られつくしているのも新たな印象で、ちょっと違うストーリーを読んでるような気分になった。

 

ガイドブックにはこの作品はアガサファンにも非常に人気があるとのコメントがある。確かにおどろおどろしい殺人事件がどかーんと降りてきていきなり読者を引き回すタイプのものではない。登場人物の心の移り変わりや思いが作品の中心となっているので、ポアロの考え、行動、思い入れは一旦外に置かれており、ちょっぴり脇役的な立ち回りとなっている。

 

ところで、文中にこんな一説がある。

エリノアは突然きつい口調で言った。「アント・アガサの若い娘への忠言欄。〝あなたのボーイフレンドを安心させきってはいけません。常に迷わせておきなさい〟ですか」

 

ここに出てくるAunt Agathaってやっぱりアガサのことなのかな?

 

評価:☆☆☆☆

おもしろさ:☆☆☆☆

読みやすさ:☆☆☆

#380 コロナが終わったらパリに行きたい!~「フランスの小さくて温かな暮らし365日」

『フランスの小さくて温かな暮らし365日』トリコロル・パリ

365日のパリの姿。

 

ファッション雑誌と一緒に購入した本書。Amazonでの評も高く、書店でチェックすることなくすぐに購入した。

 

4月1日からスタートし3月31日までの365日、毎日別のトピックで1枚の写真とともに書かれているエッセイタイプの本だ。

 

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食べ物から日常の出来事、学校のシステムなど現地に住んでいる人だからこそ書ける内容に溢れていて、あっという間に読み終えた。一つの項目が短めですっと頭に入ってくるような文章なのもの良かった。

 

いくつかレシピの紹介があり、本当に簡単にできそうなものだったので冬になったら試してみようと思っている。話題が豊富で確かに旅をしているような気分になれるのが本書の最大の特徴だろう。パリ、行きたいなあ。

 

この頃Netflixでフランスのドラマばかり見ていたせいか、それぞれの項を読みつつ「これはあのドラマに出てたぞ!」などと既視感があったのもステキ。写真もキレイだし、旅行の前の情報集めにもいいかも。パリに行きたくなる本。

#379 自分のスタイルを作りたい!~「フランス人のオシャレスナップ」

『フランス人のオシャレスナップ 2021』クウネル

パリのスタイル。

 

2021年号は「サンプル」から「スナップ」にタイトルが変わったようだ。黄色い表紙が書店でも引き立っていた。

 

さて、昨日に引き続きクウネルのパリファッションシリーズを読んでいる。

 


今年はフランスもコロナで大変だったはず。これだけのスナップを集めるのは大変だったことと思う。HuluでTV5Mondeを見ているとファッション関連のイベントも延期になっていたようだし、バカンスでさえひっそり気味だったという。とにかく、そんな中でもパリのマダムたちは圧倒的に個性的で人生を謳歌していた。

 

本号でとてもとても気になったのがパンツスタイル。やはり始終靴で生活する欧米人と室内では靴を脱ぐ日本とでは違いが出るのだろうか。フランスのパンツスタイル、ずいぶんと丈が長い。地面スレスレの長さで裾に泥はねがある写真もある。靴を脱いだら完全に裾を踏む長さだろう。

 

普段はやらないのだけれど、このコロナ禍の間にネットでいくつか服を買った。いつも買っているブランドの物だったのだけれど、着てみるとちょっと着丈が短い。スニーカーに合わせるなんとも微妙な長さで「ああ、これは失敗したな」と試着の大切さを学んだ次第。スニーカー通勤でもビジネスで通用するスタイルにするにはやはりパンツの長さが大切なんだと思った。

 

当たり前のことだけれど、洋服と言われるものが日本に入って来てまだまだ数百年。もともとそのスタイルだった西洋の人にとってはスカーフにしても、バッグにしてもそれぞれの個性で合わせていて、同じようなルックスにはなっていない。個性を追求するには、あれこれ手を出すのではなく、自分が好き!と思ったものを使い切ってどんな形が自分に合うのかを知っていくほうが近道なのかと思う。

 

これから大切にするだけではなく味わい尽くさなくちゃ!と決心。

 

#378 スタイルを固めていきたい~「フランス人のオシャレサンプル 2020」

『フランス人のオシャレサンプル 2020』クウネル

パリのファッション。

 

 

毎年このシリーズを購入するようにしている。今年の号が出ていることを知り、そういえば去年買ってないぞ!と2冊一緒に購入。こちらは2020年版で188のスタイルが掲載されている。

 

ファーストファッションのおかげでずいぶん安価にファッションを楽しめるようになった。けれど、物を大切にしない習慣につながっているような気がして、感だけの衝動買いは止めて本当に好きなものだけを買って、大切にしたいと思うようになった。

 

ファッションはやはりフランスが世界をリードしているし、なによりもステキ!と思えるものが多い。長く着られる素材や形を学びたくてマダム世代の本を参考にするようになった。気合わせや色も髪型もメイクも、フランス女性のスタイルには学ぶべきことが多くて見ているだけで「こうなりたい」「こうしたい」というアイデアが浮かんでくる。

 

さて今回注目して見ていたのはヘアスタイルと眼鏡。やっぱり私たち平らな顔族はどうも眼鏡を格好良く取り入れきれていない。確かに色も形も違うのに誰がかけても似たような雰囲気になるのはなぜだろう。ヘアカラーが明るいからだろうか。髪型のせい?と、顔の構造ではないと思い込みたかったけれど、眼鏡の影が顔にかかっている写真を見て、やっぱり鼻や目やおでこの高さが違うからかと悲しくなる。平たい顔族、完敗である。

 

今回の表紙は残念ながら惹かれるスタイルではなかったのでちょっと心配だったのだが、やはり188もの写真があると「おお!これは!」と思うものがいくつも出て来た。さて、2021年版を読むとするか。

 

 

#377 お化けより人!~「准教授・高槻彰良の推察2」

『准教授・高槻彰良の推察 2』澤村御影 著

尚哉、調査の要となる!

 

昨日に引き続き2巻目を読了。

 

 

1巻目では高槻先生の研究分野が怪奇であり、文学部1年で水曜の民俗学の授業を取っている深町尚哉が調査の手伝いをすることとなった流れが書かれている。高槻先生は怖い話を募集しており、ブログを運営して怖い話収集をしている。そこには実際に怪奇現象に怖い思いをしているので調査して欲しいという依頼が舞い込んでくることもある。尚哉は主にこの調査のお手伝いをしているのだが、道に迷いやすく、一般常識に疎い高槻をサポートするのが真の役目的なところも否めない。

 

本書では高槻先生がなぜ怪奇を研究することになったのかに触れている。きっとストーリーの上で大切な基盤設定が書かれている1冊となっていると思う。生い立ち、研究のきっかけとなった事件、強面な親友の健ちゃん、時に青く光る目、記憶力などなど、その理由がこの1冊にまとめられている。

 

中でも高槻先生の紳士的で温かく真っすぐな人柄が洗われているのが尚哉が高熱に倒れたシーンだ。一人暮らしの尚哉は人に頼ることができない。尚哉の耳は特殊な力があり、そのせいで人との距離を置く日々を過ごしているからだ。いざという時に頼れる人がこれといって浮かばない。高槻先生は尚哉の状況を本人以上に把握しており、すぐに救いの手を差し伸べた。

 

体調は回復に向かいつつあるも、高熱のせいで尚哉の聴力が一瞬衰えた。その力が消え失せてしまうことで、高槻先生との縁が疎遠になることを心配する尚哉だが、聴力だけではなく尚哉の人柄そのものを頼りにしているという高槻の言葉に元気を取り戻す。

 

それにしても、「怖い!」と思わせる現象には何等かの人による作為があるというのが良くわかるストーリーだ。3冊目、どうしようか迷うところだが、まずは手持ちの本をどうにかしなくては!

#376 民俗学ではこわ~いお話も研究してます「准教授・高槻彰良の推察 1」

『准教授・高槻彰良の推察 1』澤村御影 著

大学で民俗学を教える高槻准教授は怪奇を研究している。

 

民俗学、とてもとても気になる学問の一つである。文系の勉強をしていると、どこかでかならず民俗学に突き当たるのではないだろうか。私の場合、民芸品に関心を持つようになってから日本の文化をもっと知りたい!と思うようになり、気がついたら民俗学のドアの前に立っていた感じ。

 

アマゾンを徘徊していたら、本作品がドラマ化されるそうで書籍の紹介が掲載されていた。タイトルの「民俗学」に惹かれて一先ず最初の2冊を購入した。1巻目にあたる本書には、高槻准教授の研究分野についての紹介と、研究内容や水曜日の民俗学の授業についての話がある。研究分野は「怪奇」なので、私が求めていた地域の食文化や生活などとは異なる内容だった。でもなんとなく読み進めたくなるストーリーであっという間に読破。

 

ストーリーの冒頭は、民俗学を受講する文学部1年の深町尚哉の話から始まる。尚哉が10歳の頃だ。祖父母の暮らす長野で夏休みを過ごすことが深町家のいつもの夏だった。集まればいとこたちと一緒に遊びまわり、祭りと盆踊りは最大のイベントだった。10歳の夏、尚哉は風邪をこじらせて高熱が続き起き上がることもできないほどだった。とても行きたかったお祭りの日、その日も熱は下がらず大人しく布団で寝ていた尚哉だが、夜中に太鼓の音で目が覚める。それからが夢なのか、現実なのか、尚哉は不思議な体験をした。その体験が民俗学へとつながっていく。

 

高槻は青和大学で民俗学を教えている准教授で、専門分野は怪奇だ。日本に伝わる怖い話の本質を探っていくという研究をしている。たとえば学校を舞台にした怖い話はいくつもあるが、そのすべてには理由がありどういう理由で作られたものなのかが見えてくる。なぜ学校なのか、なぜトイレか、学問的アプローチをすると見事にするすると解けていくのがおもしろい。

 

ストーリーは大きく3つで、お化けが出た!怪奇現象だ!との事件が、実は人によるものであったことを解いていく内容で、推理小説の面も持っている。とはいえ、高槻は幽霊が見たくて見たくてたまらない。その辺がちょっぴりポップな内容だ。

 

尚哉は10歳の頃の話をレポートに加点目的で書いたところ、高槻の目に留まり、高槻のフィールドワークを手伝うことになるという内容。怖いものが苦手な人でも楽しく読めるけれど、導入部分は怪奇の話なのでちゃんと読み進めていく必要があるかも。ひとまず2巻まで購入してあるので読んでいこう。

 

#375 イタチじゃなくて常陸~「本所おけら長屋 17」

『本所おけら長屋 17』畠山健二 著

鉄斎のだんな、ボディーガードに。

 

電車の中で本を読むことは多いけれど、この本だけは絶対に家で読むと決めている。既読の巻で展開を全て把握していても絶対に外では読んではならない。待ちきれずにうっかり新刊を外で読めば、人情にほろりとして涙するくらいならまだ我慢できるけれど、号泣したりしてしまうこともある。そして頂けないのが大笑い。これだけはどうにも止められないので大勢の人の前で吹いてしまうことのないように、大人のたしなみとして家での読書と決めている。

 

万松が出てくるだけでも笑えるのに、今回はその上を行く。なぜなら「笑い」がテーマのストーリーがあるからだ。漫才の先駆けのようなコントのような、畠山先生はガチで読者を笑わせにかかって来ておられるので、笑わずにいること自体が難しい。そのやり取りが秀逸な上に、毎度毎度おけら長屋の住民たちが間髪入れずにボケ突っ込みを連発してくるので、いつも以上にリラックスした状態で読む必要がある一冊だった。

 

4編が収められており、その中で1話目の鉄斎のだんなが婿入り!という怪情報は、おけら長屋にとって鉄斎がどれほど愛されているかを語る話でじーんと来る。鉄斎のことをおけら長屋の「宝」だと言い、良縁にてめでたくここを去るわけだからと鉄斎の幸せを誰よりも祝う気持ちではあるけれど、それ以上にだんながここを去ることが悲しくてならないと、あの万松まで泣き出す始末。

 

笑いについては、三祐がキーだ。三祐はおけら長屋の面々が足繫く通う居酒屋だが、主の過去についてはなかなか語られることがなかった。居酒屋をきりもりするのは晋助と姪のお栄だ。晋助の妻はずいぶん前に他界した。一人息子は家を出たまま長年帰っていない。そして場所は変わって常陸。三平という百姓の三男がいた。百姓仕事は激しい労働にもかかわらず、貧乏暮らしで生活は苦しいまま。そこで江戸に出て一旗揚げると国を飛び出す。偶然が出会いと笑いを誘うというお話。

 

まあ、今回も読み終われば全体的にほっこりとはいえ、要所要所に笑いの壺がごろごろ転がっているので、いつも以上にスッキリした読了感。やっぱり江戸、いいですな。